中南米を旅行したことがある人なら一度は聞いたことがあるであろう中米と南米の陸路の話。
私も世界一周の時に話は聞いたものの、その内容は陸路では道があるのかないのかわからない、山賊やゲリラが必ずでる。イミグレがあるのかもわからない。
そして、わざわざ陸路で行く人がほとんどいないので情報が圧倒的に少ない。というのが現実だった。
しかし、yahooニュースを見ていたら、それに関して紹介されていた。
せっかく情報が出てきたのに記事が消えてしまってはもったいない。ということで、内容を完結にまとめて紹介させていただきます。



パナマとコロンビアの国境の密林「ダリエンギャップ」の実態とは

まずなぜ中米と南米を陸路で渡れないのか?国で言えばパナマとコロンビアを陸路で移動できないのか?というと北米アラスカから南米パタゴニアまで縦断する「パンアメリカン・ハイウェー」が途切れる空白地帯「ダリエンギャップ」があるからです。
密林と湿地。マラリアや毒蛇。麻薬カルテルと武装組織。直線距離で100キロほどの「空白地帯」に潜むいくつもの危険が、豊かな北米への道を阻む「壁」になってきた。
ところがここ数年、ダリエンギャップを越え、遥かアフリカやアジアから米国を目指す移民たちが増えている。その先の道のりも、「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれる移民集団の出現で一変しているという。

コロンビアの港町トゥルボにあるホテル・グッドナイト

とある人が南米から北米を目指す移民が集まる中継地と聞いたのは、コロンビア北部メデジンからバスで9時間かけて着いた港町トゥルボ。
材木が積まれた船着き場で移民がいそうな場所を尋ねると、「ホテル・グッドナイト」を紹介された。
「ホテル・グッドナイト」は、移民局近くのおもちゃ屋の上にある安宿。「Good Nigth」とつづりを間違えた看板を掲げた2階からフロントに入ると、受付の女性のポロシャツの胸には、今度は「Goog Night」の刺繍。案の定、スペイン語しか通じない。

それでも、移民が集まる理由はこの宿の名にあるという。宿帳にはインドやパキスタン、ガーナやエリトリアなどアジアやアフリカの国々の名が並ぶ。
元大学生の男性(25)は「英語名のホテルだから言葉が通じるかも」と、ここを選んだのだそうだ。同じ境遇の仲間を見つけ、ともにダリエンギャップを越えて北米を目指す。「家で兵士に射殺されるのを待つより、密林で死ぬ方を選ぶ。命がけです」

翌朝、郊外の波止場からダリエン湾を渡るボートに乗り込むと、すし詰めの乗客45人のうち、41人が移民で、中には子どもも10人いたようです。ビーチリゾートの町に向かう一般の定期便だが、オフシーズンのいまは、移民船のようになっていた。
ダリエンギャップ近郊

速度を落とせば転覆するボート

出発するや小さなボートは荒波を猛スピードで進む。すぐに波しぶきで目を開けていられなくなった。10秒ごとに波がしらを越え、乗客の体がそろって宙に舞い、着水のたびに椅子に打ち付けられて悲鳴が上がる。歯を折りかねない。慌ててハンカチを口に含もうとしたが、手すりから手を離せなかった。着水したはずみで背もたれが外れ、前列のハイチ人の少年が床に崩れ落ちた。「ちょっと、止めてくれ!」と叫ぶと、後列のインド人から怒声が上がった。「だめだ。速度を落とせば転覆する」。近くの海域では1カ月前、夜陰に紛れた密航船が荒波で壊れ、約20人が亡くなる事故が起きていた。
途中でエンジンが故障し、予定の倍の6時間かけてパナマ国境に近いカプルガナに着いた。パスポートも靴底に隠した米ドル札も水浸しで、カメラ3台が動かなくなっていた。地元の人に話すと、肩をすくめた。「移民を一番最後の船に集めて、家畜のように乱暴に扱う船長が多いから」

船旅を終えた移民たちは夜明け前、「コヨーテ」と呼ばれる密航手引き人とともに数十人の集団になって、町はずれの山道から自然保護区のジャングルに入るという。その入り口には、看板が立っていた。
「El Cielo」。スペイン語で「天国」を意味する。いくつもの山を越えて崖を下り、川を渡った先に、天国を思わせる美しい湖沼があるという。だが道中は、誘拐や強盗、置き去りといった危険に満ち、けがや熱帯病で歩けなくなっても助けは来ない。港に面した宿のオーナー、ネシー・ホハナ(30)は「捨てられた服と人骨、とりわけ子どもの骨がよく見つかる」と話した。
私自身はボートで空港のある隣町へ行く予定だったが、はからずも移民たちの道のりの一端をたどることになった。高波で港が閉鎖されたのだ。船が出るまでに1週間以上かかることもあるという。犯罪組織の影がちらつく港に長居は避けたいが、隣町までは直線距離16キロのけもの道で、山越えもある。馬3頭とガイドを手配し、通訳とともに「天国」の入り口に戻った。
危険な「天国」には進まず、なだらかで安全という海側の道を選んだが、馬上でも息が上がる。分かれ道が多く、移民が目印にしたらしい布切れが枝に結ばれ、ジーンズも捨てられていたとのこと。
今回はざっくりと省きますが、この道や他のルートではよくお亡くなりになった人が見るかるようです。

パナマ側のジャングル最奥の多国籍な村

川を十数回渡り、いくつもの牧場を通り抜けて5時間半。隣町に着いた時には日が暮れかけていた。
移民たちはこの密林の奥を、小川の水をすすり、ビスケットを食べながら1週間ほどかけて越えて、パナマ側にある人の住む村を目指す。
ダリエンギャップ近郊
パナマ市から移民が到着する地の一つで、少数民族が暮らすジャングル最奥の村バホチキトを訪ねると、まるで国際会議を思わせるような多国籍の顔ぶれであふれかえっていた。
川べりで水浴びするハイチ人やペルー人、高床式住居の木陰には青いターバンを巻いたインド人。人口約250人の村に世界中からの移民が約450人も集まっていた。
国境警備隊の詰め所の黒板には、ネパールやスリランカといったアジア、コンゴやカメルーンなどのアフリカ、キューバなどのカリブ海まで、20を超す国名と人数がチョークで殴り書きされていた。移民が増えたのは2015年ごろという。体を壊す人も少なくなく、前日にもアフリカ系の人の水死体が見つかっていた。村はずれの墓地には、土を盛ったばかりの跡があった。
女性や子どもの姿も目立つ。近の村で会ったハイチ人女性は15人のグループで6日間、密林を歩いたようです。
(参照元:4年で100倍、アメリカを目指す移民はなぜパナマのジャングルを目指すのか

ダリエンギャップの通過の目安は8日?

ダリエンギャップを歩いて渡る人はいない。もし試みても、死人に口無しかwebにアップしてないせいでなかなか情報が出てこないと思っていたが、意外にもダリエンギャップを歩いて渡りインターネットにアップしていた人がいた。
記事は2004年のものでかなり古いが貴重な情報だ。
その人の記事によればダリエンギャップにパナマ側から入ってコロンビアのトゥルポに着くまでに8日かかったようです。健脚な男性の足での換算と考えた方がいいと思います。
またこの人の記事では途中までは村を転々としていたようなのでダリエンギャップ内にも村が存在しそう。だが、最後4日は何も書かれていなかったのでひたすら密林ないを歩いたのだろうか…。
(参照元:【ダリエン・ギャップ (1)】 ジャングルを越えて─

ダリエンギャップを通るのは非合法組織か難民か冒険家だけ

他にもこんな記事があった。
コロンビアで生活する日本人の話のようです。
どうもコロンビアにものすごく詳しい人がいうにはダリエンギャップという場所は…

「パナマとコロンビアは、陸ではつながっているけれど道は一本もなく、熱帯雨林のジャングルが続いています。
南北アメリカ大陸を結ぶパンアメリカンハイウェイがそこで途切れている理由は四つあります。家畜の口蹄疫が蔓延していること。降水量が多く湿地帯だらけゆえに道路建設が難しいこと。先住民族が住んでいること。最後が、ゲリラとマフィアのテリトリーになっていること。
以上の理由により道路建設は困難で、パナマとコロンビアでは長らく懸案事項になっています。
ゲリラに武器を売るための密輸ルートにもなっており、外国人の商人も出入りするようです。そのほか、コロンビアやエクアドルからの難民が中米以降に新天地を求める際にもここを通ります。ゲリラが誘拐した人質を監禁するための施設もあるとか。
ようするに、非合法組織の連中か難民しか、通る人がいないんですよ。あとは冒険家ですかね」

といった所のようです。

当時の外務省の渡航情報

2011年8月14日のパナマ情報でダリエン地峡はこう書かれていた。
《コロンビアとの国境地域は「渡航の是非を検討してください」。コロンビアと隣接しているダリエン県及びクナ・ヤラ特別区は、パナマ、コロンビア両国の治安当局の監視が十分届かない密林地帯であり、コロンビア革命軍(FARC)等のコロンビアの左翼武装組織等が、休息や物資調達等の場として利用しています。
中略
同地域への渡航には相当の危険が伴うものと考えられますので、同地域への渡航・滞在を計画されている方は、その是非を含め真剣に検討してください。上記の情勢にもかかわらず、やむを得ない理由で渡航される場合には、必要に応じて警備員を付ける等安全対策を講じ、危険を避けるよう心掛けてください》 

《必要に応じて警備員》をつけてダリエン地峡を縦断したのは、探検家の関野吉晴という人のようです。
関野吉晴は1996年のこのとき、関野はテレビクルーを従えていたゆえに警備員を雇うのは当然だったが、警備員を雇ってもなお、《神経をすりへらし、心理的に疲れはてた5日間でした》と回想している。
ちなみに関野吉晴は『中央アメリカをかける』小峰書店という書籍を出版しているようです。
興味があるので読んでみます。

現地の情報

《パナマ国境警備隊は、ダリエン地峡でコロンビア最大左翼ゲリラ組織「コロンビア革命軍」のキャンプ場を発見し、解体した》(「ヨーロッパ・プレス」2012年3月31日)

《ダリエン地峡で、コカインの運び屋たちがパナマ国境警備隊に逮捕された。運び屋たちは20人ほどいて、うち9人を逮捕した。大半がコロンビアの若い女だった。彼女たちはショットガンも所持していた》(「La FM RCN Radio」2013年1月27日)

《ダリエン地峡で、小さな男の子が5メートルの大蛇に飲み込まれた》(「クリティカ」2013年2月19日)

自然の宝庫でもあるダリエンギャップ

国境には「ダリエン国立公園」と「ロス・カティオス国立公園」があり、希少種のオウギワシなどが生息するほか、新種の蛙もたびたび発見されているらしい。
また、子供のころから体に刺青を彫る習性のあるエンベラ族や、「モラ」と呼ばれる鮮やかな刺繍を施した民芸品を作るクナ族の集落もあるようです。
発行日は2003年8月10日とやや古い地図にはダリエン地峡のカラー地図が載り、ゲリラの潜伏場所から先住民の分布図が表示されていたようです。
くわえてコロンビアの難民がパナマへ逃げていくための大まかなルートと、麻薬・武器の密輸ルートまでもが示されていたのだそう。
これらの情報を踏まえると、ダリエン地峡を越えるルートの数は30とも40とも言われていることが分かった。
地上国境の距離は225キロメートル。密林が延々と続くほか、東側にはダリエン山脈が縦断し、複数の川と湿地帯が入り乱れ、地中にはゲリラが仕掛けた地雷が獲物を待ち受けていることもあるとか。
そしてもっとも肝心なことは、いずれを通るにしても、「コヨーテ」と呼ばれる道先案内人を雇うことだった。
これらの情報をもとに、ルートを2つに絞ったそうです(地図上の「1回目のルート」と「2回目のルート」)。

1回目のルートはトゥルボからカリブ海の湾入の先のアカンディへ行き、アカンディからダリエン地峡を越えるルート。
ここは内戦の余波で逃散を余儀なくされたコロンビア人が、パナマの先の新天地を求める際に通るルートであるため、比較的安全なのではないかという理由に落ち着いたようです。

「危険だからこそ、コヨーテを雇って一緒に行こうと思っている」というと
「ゲリラだけじゃなく、先住民も危険なんだぜ。人の肉を食べる部族があるんだ。最近でもコロンビア人が2人殺されている。爪を剥がされ、髪毛を根こそぎ抜き、そのまま焼いて食べるんだ。あんたは色が白いから旨そうに見える。それに、地雷だって埋まっているんだ。どうしてわざわざ危険なことをするんだ? とにかく船で行け」と言われたそうな。現地人がこういうのだから本当なのでしょう。

ちなみにこの先に記事は有料なんだそう…読みたい人は参照元の僕がパナマの留置所に放り込まれた理由を読んでみてください。